# 武野神社

武野神社について

御由緒

御創建の年代は不明ですが、かつては八幡社と称して八幡山と呼ばれている丘陵の山上に祀られていました。八幡山の麓から湧き出る清水は古くからこの辺り一帯の耕地を潤しており、耕地の安泰を願って水源のあるこの山上に祠を立てて祀られた。いつの頃からか社(やしろ)が建てられるようになり神社として形作られていった。江戸幕府が編纂した地誌書『新編武蔵風土記稿』によると、社殿の修復を平安時代の康平六年(一〇六三)におこなった記がある。

社伝によれば、永承6年(1051年)に起こった前九年の役で八幡太郎義家が奥州へ向かう途次、当社へ立ち寄り先勝を祈願して社伝を北向きに再建した。これ以降、全国を見ても珍しい北向きの神社となった。

古くは誉田別命を祭神とする八幡社の社地であったが、明治41年に栗原村の浅間神社と始めとする八社を当社に合祀したのを機に武蔵野の「武」と野寺の「野」を採って武野神社と改称した。

武蔵野の原風景が残る雑木林広がる八幡山と称される丘陵地に鎮座。古くは八幡山の麓からの湧き水で近隣の田畑を潤し、先人たちはその田畑からの収穫の感謝の祈りをこの地で営んできた。

祭祀の場として先人たちに大切に守られてきたこの鎮守の杜に入れば、清々しい空気に包まれ静寂の中に鳥や生き物たちの賑わいが聞こえてくる。

今も湧き出し続けている麓の湧き水は清らかな流れを作り弁天社が鎮座する弁天池を潤している。近隣の神社と合祀を機に『武野神社』を改称したが、今でも『八幡様』と地元の人々に慕われ地域の総鎮守として厚く信仰されている。

武野神社について