御祭神 誉田別命(応神天皇)
御創建の年代は不明ですが、かつては八幡社と称して八幡山と呼ばれている丘陵の山上に祀られていました。八幡山の麓から湧き出る清水は古くからこの辺り一帯の耕地を潤しており、耕地の安泰を願って水源のあるこの山上に祠を立てて祀られた。いつの頃からか社(やしろ)が建てられるようになり神社として形作られていった。江戸幕府が編纂した地誌書『新編武蔵風土記稿』によると、社殿の修復を平安時代の康平六年(一〇六三)におこなった記がある。
武蔵野の原風景が残る雑木林広がる八幡山と称される丘陵地に鎮座。古くは八幡山の麓からの湧き水で近隣の田畑を潤し、先人たちはその田畑からの収穫の感謝の祈りをこの地で営んできた。
祭祀の場として先人たちに大切に守られてきたこの鎮守の杜に入れば、清々しい空気に包まれ静寂の中に鳥や生き物たちの賑わいが聞こえてくる。
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